So-net無料ブログ作成
検索選択

ブリヤート料理

イルクーツクからシベリア鉄道に乗りタイガの森をバイカル湖に沿って抜けると
約8時間でブリヤート共和国の中心都市ウラン・ウデに到着します。
鉄道の途中いくつもの小さな駅を通過しますが、駅舎が青色に染まっていく。
その様はだんだんとブリヤートに近づいていることを教えてくれているのです。

ブリヤート人は世界でも一番日本人とDNAが近いと言われています。
知らない街で道行く人にも親しみを感じる。
ただ数世紀、穀物を中心に生きた者と肉を中心に生きた者は明らかに
違いが出てくることをこの目で感じてしまったのです。
ブリヤート人は体格、特に骨格が太く、手が大きい!あごもしっかりとしていて
「先祖代々ちゃんと噛んでま~す!」といった顔立ちだ。

ブリヤート原住民が住むアルヴィジィル村に行き、ブリヤート人のお宅で
ブリヤート料理を頂くことになりました。
「ようこそ、ブリヤートへ」とまずはウェルカム・チャイ!
甘みのないさっぱりしたチャイは到着後の一杯には最高!です。
buryat-11.jpg

もともとブリヤートの住宅はゲルでしたが、ロシア文化の影響や
厳しすぎるロシアの気候もあり、木製のゲルを立てるようになったそうです。
ウラン・ウデの中心地ではゲルを見ることはほとんどありません。
buryat-12.jpg

ブリヤート料理で欠かせないのは「ポゥーズゥ」。
これは小ぶりの肉まんにスープの入った小龍包のようなもの。
モンゴルでは中は羊の肉ですがブリヤートでは牛肉が主のようです。
ここでは「一緒に包みましょう~♪」ということで十数年ぶりに餃子の皮包みをしました。
手前の最後ひねっとけばそれなりになるか!っぽいのが私の作品・・・。
buryat-14.jpg

驚いたのはこの「サマラート」という料理。付け出しのようなものでパンなどに乗せて食べるそうです。
簡単に言うとサワークリームと小麦粉を混ぜて茹でたものだそうですが
この料理も家庭により大きく味が違います。途中ドライブインの「サマラート」は一口戴いた瞬間
ブリヤートには住めないと思うほどでしたが、ここで戴いた「サマラート」はほんのり甘く
クリーミーでとっても美味しかった◎やっぱDNA近いじゃ~ん♪と豹変することができました。
buryat-9.jpg

「シュルン」という麺入りスープ。出汁の味もアジア人好み!西ロシアでは一般にはない出汁です。
buryat-10.jpg

ダライ・ラマがこの村に来たときに「作りなさい」といったお酒「アムリ-タ」。
松のウオッカで香りが独特、きついお酒ですが、くせが返って美味しい。
buryat-8.jpg


シベリア紀行つづく・・・






共通テーマ:blog

東シベリアの旅

この夏、かなてから念願だった東シベリアに行ってきました。
中世ロシアの趣きを残すイルクーツクから神秘の湖,バイカル湖を抜け
宗教も人種も異なるブリヤート共和国へ、その文化の違いの流れを
この目で見たかったのです。

baikal.jpg
バイカル湖を挟んでイルクーツクとブリヤートがあります。

出発前から数少ない資料を集めましたが、実際は情報よりも時の流れは
速く日々変化するシベリアでした。
人種の比率はブリヤート共和国ウラン・ウデ市ではロシア人50%、ブリヤート人50%ですが
ロシア人とブリヤート人の結婚も多くなり混血が増えてきているということです。
経済発展は著しく、建設ラッシュ。物価も他のロシア各地に比べ高いという印象でした。
イルクーツク市の地価はモスクワ、サンクトペテルブルグに次ぐ3番目に位置しており、
シベリアという地域を考えると何かメリットがあるのか?と不思議でしたが・・・
中国の経済発展の流れでモンゴルは経済成長率世界3位となり、モンゴルと
密な東シベリア地区も勢いに乗っている!?のかと思います。
ブリヤート共和国はモンゴルととても友好国でVISAは1時間程度で発行してくれるそう。
ウランバートルまでは車で5~6時間なので人の流れも物流もとても盛んなようでした。

buryat-1.jpg
ロシアの文化とは異なる独特のブリヤート。

とにかく日本車が多く、通りだけを見ていると「ホンダ、トヨタ、ホンダ、ニッサン・・・」
モスクワの比ではありません。中古車なので「愛羅武勇」とか「夜露死苦」的な文句を
書いたものもそのまま使われており、事実を知らないことを願うばかりです。

シベリア紀行つづく・・・

共通テーマ:blog

ロモノーソフ陶磁器工房でマイカップ

ロモノーソフ陶磁器工房へはこの10年間何度も足を運びました。
掘っ建て小屋のようだった工場直営のショップは今や博物館までできました。
途中経営者入れ替えもあり名前も変わったりもしたけれどやはり「ロモノーソフ」という
響きが一番ぴったり合っている気がします。
lomo-3.jpg

そこでマイカップを作ることもできます。
まずは好きなスタイルのカップをチョイス
次に絵付けをどのようなものにするか・・・私は一番好きな鳥の文様。
あらかじめ切り抜いたパターンをカップに当て炭でパターンを写していく。
絵付けの色はちょっと古めかしい仕上がりにしたかったので茶や深いオレンジ
深い緑色などなどを作り、いぶし銀の出来栄えを想像してわくわくしながらペン先に集中。
金属製のつけペンで絵の具を陶磁器に盛っていくのだが…これがなかなか難しい!

言葉が通じなくても大丈夫。
私 : 「これってテンテンすればいいのですか?」とテンテンするジェスチャー。
先生 : 「そう、テンテンよ~」とテンテンするジェスチャー。
工房って大好き。言葉が通じなくても、見て、作業して心が通じる。
lomo-2.jpg

1年後再び工房へ行きマイカップを頂きました。
盛った絵の具は焼き上がると変化するのでいぶし銀というより
ラブリ~でファンシ~で、でもワンダホ~でした。
lomonosov-mycup.jpg


共通テーマ:blog

タチアナ・ニクーリンに会って

私は「小さい逃亡者」の映画を語れる生き証人に会いたかった。
当時の思い出エピソードをどうしても聞きたかった。
この映画に携わっている人なら誰でもよかった。
特にロシアでの撮影に参加している人に・・・その当時のロシア、
ロシア人との仕事、ふれあいなどを聞きたかった。
となると日本人ではとても限られていた。
主役の少年はこの撮影後ウルトラマンなどの特撮映画に参加し
わずか数年で引退していた。一般人なのでもちろんその後は分からなかった。
ロシアの俳優、スタッフを探すことにした。
大好きなユーリー・ニクーリンは他界している。監督もスタッフも。
若いスタッフの中では映画界を辞め今はどこで何をしているのか分からないという人も多い。

タチアナ・ニクーリンはユーリー・ニクーリンの奥様でこの映画にも一緒に出ている。
ユーリー亡き後サーカス団の団長でもある彼の息子を通じ、タチアナさんに会えるよう
お願いをした。タチアナさんは83歳。「体調もすぐれないからわざわざ日本から来てもらっても
会うことができないかもしれない。」とも言われたけれど、1%でも可能性があるならとモスクワへ向かった。

劇場の上階にある社長室に通された。
そこで迎えてくれたのは凛とした姿勢と笑顔が素敵な女優だった。
「体調の悪い83歳」を想像していたので彼女がタチアナ・ニクーリンであることにしばらく時間がかかった。
「ようこそ!」と手を差し伸べてくれ「さて、何から話したらいいかしら~」と映画の思い出から恋愛話まで
次々と話してくれた。主役の少年のことは本名の「チハル」と呼んでいた。
映画の仕事というよりは自分の息子より2歳年上のチハルがかわいくてたまらなかったようだ。
チハルが撮影中サリャンカの食べすぎで10Kg太ったこと、
チハルが台詞を間違え悔しくてカーテンの陰で涙を流したこと、
ニクーリン家でホームパーティーをしたときに息子とチハルは言葉も分からないのに
仲良く遊んでいたことなど・・・目を細め話してくれた。
表情、口調すべてがエンターティナーだった。
タチアナさんの取材を終えた後、隣室で聞いていたマネージャーは
「あなたが来る寸前まで
『何を話せばいいの、私は46年も前のことなど覚えていないわ・・・どうしよう・・・』
とタチアナはずっと言っていたのよ。私も恋愛話を初めて聞いたわ~。」と驚いていた。
t,n.jpg

この世界で生きてきた人は自分の見せ方が違う。
一瞬にして幕が上がるのかもしれない。

共通テーマ:blog

ソビエト映画を好きなわけ

もともと私はソビエト映画が好きでした。
同じ風景をジジジ~~~~~~っとためらうことなく映し出し
展開の遅いストーリー、沈黙の長い間、でもその中に観る者が
それぞれ何かを感じ得るものがある気がします。
ハリウッド映画に比べ同じ120分でも時間の流れ方が3倍くらい遅く感じます。
誰かが死んで誰かが勝つというようなはっきりしたものではなく
これから先この人たちはどうやって生きていくのだろう、幸せになるのか、、、
不安のままのあいまいな終わり方。それもやはり、その先は観た者に想像させ
より考えさせる作品が多いのです。

世相を反映したものが多いソビエト映画。
特に1960年代は戦争を背景にしたものが多く、戦場よりもその影で
寂しさや悲しみを背負う人たちの姿を描いたものが印象的です。
その中で生きる強さや楽しみを見つけていくので当時の人々は映画という
娯楽が何よりも楽しみだった。映画の黄金時代です。

今、私がソビエト映画を観ても同じことを感じます。
特に生きていくための強さ。

疲れたらソビエト映画か「かもめ食堂」をよく観ます。

cinema-2.jpgcinema-3.jpg
ロシア映画大学資料室には古いポスターがぎっちり貼られているました。

共通テーマ:blog

「小さい逃亡者」~魅力を感じたもう一つの理由~

1966年に制作されその年の晩秋に何かの作品の併映として(確信たる記事、資料がない)、
翌年「ガメラ」との併映で公開されました。私のお店に来るお客様の中に数人「小さい頃、マトリョーシカ
にお願いをしながら男の子が旅をする映画があったけれど…」とうっすらながら覚えていらっしゃる方が
いました。皆さん、不思議なことに当時10歳前後。よく調べてみるとこの作品は教材指定映画として
小学校で鑑賞されたようです。ただそれ以降の公開がなく、「葬られた」作品となってしまったのには
何か理由がある気がしました。時代も時代。社会主義国との親睦の証に社会的な力が加わったか、
世論を避けるための対策か、それを考えるとたまらなく興味が増してきてしまったのです。

もちろんこの問題はどこにも資料はありません。
当時この作品に関わった人の中でもごくわずかな人しか知りえなかったことかもしれません。
今回ロシアで取材をしたロシア映画大学のルィビン教授(当時副カメラマン)は
「当時そのようなことはどこの国でもありえたことでしょう。」と話していました。
彼はこの映画に関係する人物、情報を知る人物を探すため、大学の先生を集め
手当たり次第電話をしてくれました。
でも日本とソビエトの合作に至った背景の鍵を握る人物は誰にも分かりませんでした。

謎。理想的です。



共通テーマ:blog

1966年日ソ合作映画「小さい逃亡者」~上映会に至るまで~

2012年12月2日「小さい逃亡者」を上映するまでにいろいろな山があり、それはひとりでは
決して乗り越えることができないことばかりでたくさんの方に助けてもらいました。
そしてこの映画がなければ決して会えなかった人にも会うことができました。日本でもロシアでも。
正直お金はかかりましたが、貯金を使い果たしても、会えてよかった、上映できてよかったと思える
経験をしました。

ブログで少しずつ綴っていきたいと思います。

「小さい逃亡者」は1966年日ソ合作映画。私がこの映画を知ったのは2007年頃。ロシア人の友人の
映画好きの母親のおかげ。彼女は民芸の仕事をしている私に民芸色の濃い作品やマトリョーシカが
出てくる映画をいろいろと教えてくれました。中でも「小さい逃亡者」はあまりにも印象に残り日ソ合作
でありながら今までなぜ知らなかったのか悔しいくらいでした。
日本に帰り探してはみたものの・・・確かな情報がなく、簡単には見ることができないということだけ
分かりました。映画の内容はもちろん、監督からスタッフ、出演者に至るまで超一流。それだけでも
話題になる映画のはずなのに。と思いつつ、時は流れてしまっていました。

気が付けば早5年。「テープ探そう」とふと思いつき、日ソ合作の日本側「大映映画」に連絡をしてみる
ことにしました。この時初めて「大映」が解散していることを知りました。私はその程度の映画に関する
知識です。慌てて「大映」作品のその後を調べるため、頭に浮かぶいろいろな組織に電話をしました。
意外にもテープはあっさりありました、が、それは字幕もなく赤茶けた最悪の画面。フィルムというのは
回して空気に触れさせなければ傷みも進むらしいのです。他に2本同じフィルムを探してもらい、うち
1本は字幕なし。残り一本は南極基地で使用したものでこういった厳しい環境で保管されたフィルムは
ほぼ壊滅状態とのことでした。ただもう後がない!1%でも希望があれば…ということで3本とも送って
もらい試写をしました。字幕入りの南極仕様フィルムは奇跡を起こしてくれました。今回上映会で使用
したのもこの1本です。
cinema-28.jpg

共通テーマ:blog

トゥーラという街-観光スポット編

トゥーラにもクレムリンがあります。
モスクワに比べると規模は小さいのですがかつての繁栄を偲ばせます。
城壁の下にある穴は鉄砲狭間ですが、決して足元を狙うために作られたものではありません。
城壁自体が地盤沈下しているのです。
tula-2.jpg

クレムリン内にはウズペンスキー聖堂もあります。
普段使われてはいないけど静粛で凛とたたずんでいます。
tula-1.jpg

そして銃兵器博物館もクレムリンの中にありました。
(2011年9月に市内のドーム型の新しい博物館に移動しています)
カラシニコフ、トカレフはこの街で銃を日々開発していた。

中でも一番目を引いたのは決闘用の銃が2丁セットになった「決闘セット」。
1800年代に貴族の間で流行したという「決闘」。
あのプーシキンもその傷が元で命を落としてしまった・・・
美しい彫金で施されたこんな銃セットがあれば欲しくなるな・・・。
tula-5.jpg

銃兵器を製造していた街だけあって重々しいイメージですが
ロシアの伝統的なお菓子プリャニキがホッとさせてくれます。
トルストイのお話でも出てくるでしょう~。
あま~~~~い匂いが漂う専門店にはいつもお客さんでいっぱいです。
tula-3.jpg
ここの裏にはプリャニキ博物館もあります。

トゥーラのお勧めの観光スポットでした。


共通テーマ:blog

トゥーラという街

今も鉄鋼業で有名なロシアの都市トゥーラ。
ロシアで一番有名で質の良いサモワールはトゥーラ製だ。
サモワール博物館もあり、歴史を学べ、古いサモワールも
所狭しと並んでいるので見ごたえがあります。
samovar-1.jpg
大きな砂糖の塊。ロシア映画「コミッサール」で女将校がサモワールから湯を注ぎ
紅茶を雑に入れ、ガツガツと塊を荒く削り、奥歯に挟む。そこに熱い紅茶をズズズ・・・と
注ぎ込む。この飲み方にすごく憧れた。実際にしてしまったらみんな引くだろうけど。
この映画のこの女将校にはあまりにもハマッた飲み方だった。
samovar-2.jpg

モスクワから特急で2時間、通常でも3時間半くらいで行ける。
途中、湖があり、冬場は氷上釣りに行く人で車内も賑わう。
勝手にギターを引き語りお金を乞う人。
昼間というのに酔っ払って、座った姿勢のまま床に頭をぶつけそのまま眠る人。
自宅で作ったと思われる“ばった物”のチェブラーシカのCDを販売する人。
トゥーラの駅に着くとモスクワで一掃されたジプシーたちがお出迎え。
特に外国人には4~5人で群がってくる。
目を離した瞬間、息子は5人のジプシーおばさんに囲まれ「なんか出せ!おらおら~!」と
いわんばかりに胸をどつかれていた。
私も怖いのですっごく遠くから「無視しなさ~~いぃぃぃ。」とやさしく叫ぶのみ。
今日ものどかなロシアの汽車の旅。
BGMは「世界の車窓から」を流して欲しい。



共通テーマ:blog

サモワール

個人的な趣味としてロシアのサモワールもそのひとつです。
今回は7リットルの炭で沸かすタイプを3台購入しました。
そんなにどうすんねん!?という感じです、趣味って怖いです。
広い庭でもあればご近所さんを呼んでティーパーティーでもしますが
猫の額ほどのベランダしかなく、しかも近所付き合いも一切なく、
大層な湯沸しを見てほくそ笑むだけです。
合計5台。5台くらいでは収集家と言えませんが、「ここらへんで
お終いにせえよ!」という家族の無言の訴えはひしひしと伝わってきています。
samovar.jpg
ちなみに炭で沸かすタイプはセットで煙突がついてきます。


共通テーマ:blog

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。